大阪と東京の葬儀事情
アラフォー女子です。家族葬・直葬を大阪の専門施設で比較し選ぶのは今までお通夜に行くことが多かったため、服装や持ち物など、告別式ほどきちんとしていませんでした。たいてい仕事あがりに駆けつけてたので、お参りするときは荷物も預けられるし、バッグの色を黒にすれば良いだけでした。(通勤用の黒いバッグ)ところが、家族葬・直葬の分野に大阪で参入した魅力は今年久しぶりに叔母の告別式に参列することになり、大変慌てました。告別式だと、朝から火葬場までずっと親戚と行動するわけで、さすがにいい加減なバッグではいけません。もちろん通勤用のトートバッグなんてもってのほか。知らせを受けたのが突然なのは当たり前だけど、参列するまでに探しにいく時間がほとんどなく、焦りました。安心納得料金の直葬・家族葬をフローラルホール城東会館で仕事を少し早めにあがらせてもらい大型ファストファッション店へ。動物病院で亡くなったために翌朝参列するため、この時間しか買い物できません。時間的(夜)に開いてる店と意外と種類多く取り揃えてあるのでそこに絞っていきました。手頃価格で購入できてほっとしました。お通夜であれば黒いワンピースやスーツでしのげるものの告別式ではやはりブラックフォーマルが必要。いい歳してきちんとした喪服もバッグももってないのを深く後悔した今回。今後、増えてくるであろうお通夜・告別式のために、普段から備えておかなければ、と痛感しました。引っ越しをするときにゴミをたくさん捨てなければなりませんでした。普通ゴミとして捨てられるものは当然普通ゴミとして捨てましたが、粗大ゴミとして捨てないといけないものは普通にしてついては間に合わないということになってしまったのです。そんなときに利用したのが民間の粗大ごみ回収業者です。基本的に何でも持って行ってくれました。正直なところリサイクルショップなんかに持っていけばむしろお金になりそうなものでもあったのですがそういうものでも別にこちらとしては必要がないものでもありましたので、引き取ってもらうという事にしました。そこそこ費用はかかってしまったということにはなりますが、個人的にはとても満足しています。一気にものを大量に、そして、すぐに捨てることができるというのはありがたいことでもありました。細々と出すことで処理するということもできなくはなかったわけですが引っ越さなければならないという個人的な緊急事態があったわけでそういうことに対して的確にサービスを利用することができてよかったです。コスト的にはちょっと普通に捨てるよりはかかってしまったのですが、何よりもそのスピードがよかったとは個人的に思っています。
韓国フォトウェディングの評判を基に検討しつつ
私の母は、決して自分から多くを語る人ではありません。私が結婚を決めた時も、「そう、良かったわね」と、ただ静かに微笑むだけでした。結婚式の代わりにフォトウェディングを選ぶと伝えた時も、賛成も反対もせず、ただ黙って私たちの話を聞いていました。その穏やかな表情の裏で、母がどんな想いを抱いているのか、私には少しだけ不安でした。しかし、その不安は、撮影の衣装選びをしていたある日、母からの思いがけない一言によって、温かい感動へと変わることになります。「もし、よかったら…。お母さんの留袖、着てみない?」。 母が、桐の箪笥の奥から、大切そうに取り出してきたのは、一枚の黒留袖でした。そこには、金彩をふんだんに使った、おめでたい鶴と松の文様が、息をのむほど見事に描かれています。それは、三十年以上も前に、母が自身の結婚式で着た、思い出の詰まった衣装でした。そして、さらに驚いたことに、その留袖は、元々は私の祖母が、母の結婚を祝って誂えたものだというのです。つまり、この一枚の留袖には、祖母から母へ、そして母から私へと受け継がれる、三世代にわたる女性たちの、愛と祝福の想いが込められていたのです。洋風のウェディングドレスにしか頭になかった私は、その事実に、胸が熱くなるのを覚えました。そして、私たちのフォトウェディングに、新たな、そして非常に重要なテーマが生まれた瞬間でした。 撮影当日、私たちは、伝統的な日本庭園が美しい、由緒ある施設をロケーションに選びました。スタジオには、私の両親だけでなく、少し足の弱くなった祖母も、車椅子で駆けつけてくれました。私が最初に身に纏ったのは、もちろん、あの思い出の留袖です。プロの着付け師さんの手によって、寸分の狂いもなく着付けられていくと、背筋がすっと伸び、心が引き締まるような、不思議な感覚に包まれました。その姿を、祖母は涙を浮かべながら、「お母さんによく似てるねぇ」と、何度も言ってくれました。母もまた、隣で静かに、しかし、本当に嬉しそうに微笑んでいます。 撮影は、まず、母と祖母、そして私の、三世代の女性たちだけで行われました。私が真ん中に立ち、母と祖母が、まるで私を守るかのように、その両脇をそっと支えてくれる。カメラマンさんは、「お母様、お嬢様の襟元を少し直してあげてください」「おばあ様、お孫さんの手を優しく握ってあげてください」と、自然な仕草を促してくれます。その一つひとつの触れ合いを通して、言葉にしなくても、祖母から母へ、母から私へと、確かに受け継がれてきた愛情の温かさが、じんわりと伝わってくるようでした。それは、単なる記念撮影ではなく、世代を超えた女性たちの絆を確かめ合う、神聖な儀式のようでもありました。 その後、夫も紋付袴に着替え、全員での集合写真を撮りました。夫が、祖母の車椅子の隣にそっとひざまずき、そのしわくちゃの手を握ると、祖母は「良い人を、見つけたねぇ」と、心からの笑顔を見せてくれました。父も、いつもより少し誇らしげな顔で、母の隣に立っています。この一枚の写真には、新しい家族の誕生と、これまで私たちを育んでくれた二つの家族の歴史が、確かに刻み込まれていました。 撮影の後半、私はウェディングドレスへと着替えました。しかし、あの留袖を着た後では、洋装であるウェディングドレスにも、また違う意味合いが生まれているように感じられました。日本の伝統という、確かなルーツの上に、新しい未来を築いていく。和装と洋装、その両方を写真に残すことで、私たちのフォトウェディングは、より一層、深みと物語性を増したのです。 私たちのフォトウェディングは、結果的に、私たち二人だけのものではありませんでした。それは、一枚の留袖が繋いだ、三世代にわたる家族の物語の、新たなページをめくる一日となったのです。アルバムに収められた、留袖姿で微笑む三世代の女性たちの写真は、これから先、私たちがどんな道を歩むとしても、常に自分の原点を思い出させ、温かい勇気を与えてくれる、かけがえのないお守りとなるでしょう。そしていつか、私にも娘が生まれたなら。この留袖に込められた愛の物語を、そっと語り継いでいきたいと、心から願っています。