お葬式でまた会えるからねと最後の約束

今年だけで身内のお葬式が二度ありました。
私は、広々とした大阪の海原に散骨すれば人が死ぬということが時々わからなくなることがあります。
もう会えない。それは理解できます。
直葬なら大阪でも心ゆくまでただ私の心の中の故人は、私の心の中で今も生きていて私が話しかけると、いつも通り返事をしてくれると思うのです。
いつも通りの服装で、いつも通りの優しい笑顔で。
棺桶の中で眠る故人に、皆で家族葬を大阪でやろうと私は必ずまた会えるからね。と声をかけます。
私が死んだらまた会える。私もいずれ死ぬのだから。
出来るだけ家族葬を大阪でといつかまた会えるのならば、悲しいけれど、自分がいつか死ぬときに、あの人に会えると思いながら最期を迎えたいのです。
身内のような近い存在であればあるほど、また会えると本気で信じることができる気がします。
特徴程度は押さえて各宗派の違いをこんな事を言うと不謹慎だと怒られるかもしれないけれど、自分が死んだその後に少しだけ期待したいじゃないですか。
だから、人生を全うして死ぬことができたら、ご褒美として自分より先に死んでしまった大切な人と再会を果たすことができるのではないだろうか?
本気で大阪で家族葬を考えると私の大切な人が空の上で、あなたの大切な人と再会した喜びを分かち合ってほしいと願いながら、手を合わせ遺影を見つめて、本当にありがとうと心から伝えたいと思います。