知り合いがいないとお葬式が寂しい

父方の祖父が亡くなったと連絡が入ったのは数年前のことでした。大阪で心からお祈り込めた散骨にはもともと非常に活発で、大動脈の手術をした直後も日本全国を旅し、長生きするのではないかと考えていた人です。しかし、連絡を取っていなかった間に実は痴呆症を患っていたということがわかり、大阪の直葬は少ない費用で出来ると元気だと思っていた祖父はあっけなくこの世を去ってしまいました。
定年してから何年も経っていますので、仕事をしていた頃の知り合いがいるわけでもなく、近所の人と特に仲が良かったというわけでもなく、家族葬が大阪で悩まずに出来るとはもともと生きているうちから「お葬式をするなら誰が参列してくれるんだろう」などと漠然と考えたこともあります。しかし、祖父の葬儀では祖母の意向もあり、本当に身内だけで行われることになりました。家族葬を大阪で明瞭にして祖母は父だけ来れば良いといい、私と母は葬儀には行かなくて良いとさえ言ってきたのです。しかしそれはあまりにも寂しいですので、私と母も葬儀に参加しました。少なからず他の親戚もいるのかと思ったら祖母と父しかおらず、そこに私と母が加わることで4人だけの葬儀となりました。わかりにくい大阪の家族葬の法事法要を家族葬といってもあまりにも寂しいものだったように思います。
しかしやはり定年をすると仕事をしていたときの仲間が葬儀に来るということもありませんし、葬儀を松原で行えるなら歳をとるとすでに同年代の人が亡くなっていることもあります。今後は家族葬や密葬などの需要が増えるのかなと感じました。